妙な、記憶がある。植えつけられた妄想のような記憶だ。時間も、その具体的な顛末も覚えてはいない。望んだとも思えない妄想の記憶が俺にはある。
 それは夏である。場所はたぶん俺の部屋で、臨也の夢だった。これらの具体的な記憶しかないうえ、信ぴょう性のかけらもないので、俺は最近まで放置することを徹底していた。


 最初に現れた日も明確には覚えていないが、俺が高校にあがった頃だと思う。制服を干してあるのがまだ新鮮に思えたころだ。
 臨也に出会ったころとそういえば近いんではないか、と思う。その頃が一番肉体的にしんどかったころだ。だから俺は夕方遅く帰り、早くに眠りにつくようにしていた。
 ドアをひらく。そのまま眠りにつく。そのまま朝。というパターンだったが、あるとき俺は深夜の暑さで目がさめてしまう。するとあいつがいたのだ。折原臨也だった。間違いなく。
 俺は恐れおののいてベッドの一番すみっこまで後退して、鳥肌がたっているのも確認した。
「なんでお前ここにいるんだよ。」
「え、何故ってすんでるからじゃない?」
「はぁ?いつから。あと、なんでだよ。」
臨也はぷー、と頬をふくらますと、ずっと住んでるじゃない、ここに、と言った。俺はよくよく瞬きをしてそれを見る。見慣れた顔だから間違うはずもないのだが…。
「ひどいなぁ、シズちゃん…忘れちゃった?」
「何を。ああもういい。もう一度きくが、なんでここにいる。」
臨也はさらに眉間にまでしわをよせた。投げやりな口調で、俺の問いに答えた。
「さぁ、なんでかな、近々結婚するからじゃない?」
いやいやいや、ちょっとまてよ。そんな間柄では間違ってもないだろうに。
俺が口をぱくぱくさせて動揺していると、臨也はその怪訝な顔をやめて笑った。それはいつもの厭味ったらしい笑いだった。急に現実に帰ったような気がして、俺が安心したところで、臨也は大きなあくびをひとつして眠たそうにいった。
「もう寝かしてよ。」
臨也は俺の胸のあたりにすりよって目をつぶった。俺は再び大きく混乱しながら、それでもってどぎまぎするような気持ちを抑えながら、それでも眠っている臨也を追いだすことはできず、しばらく眠ることができなかった。それでも朝になると、自分はねむっていて、そして臨也の姿はなかった。ああ、夢だったんだな、と俺は学校にいって、普通に臨也の奴と顔を合わせる。すると、あの、何かまたよくないことを考えている顔でやぁ、シズちゃんクマできてるよ!と言われた。それでもう俺のリミッタのようなものが故障してしまう。
 その日も、家にかえる。ドアを開けて、ベッドにもぐる。制服ぐらい脱がないと、ともぞ、と起き上がろうとすると後ろから声がする。
「やぁ、シズちゃん、今日も遅かったね!」
振り返る。そうでなかったらいいと思いながら。
 だが、希望もはかなく、エプロン姿のあいつが立っていた。お前のせいだろ、という言葉もつっこみも、そのとき全部どこかへ飛んで行ってしまった。

 ひと夏の、とはよくいってくれるが本当にそういう感じである。その、途方もない繰り返しは、その夏の終わりととともに終わった。だが、次の夏になるとただいま、というように奴は帰ってきた。それもまた、繰り返しだ。
そこには何も行為はない。ただ、眠ったり、寝ぼけたようなことを口走ったりしている記憶だけがある。朝になると、ああ、もう行くからね、と言ってでていく。夜にはまた帰ってきて、横になっているときもあれば眠っていないこともある。ただ、料理をつくってまっていたときもあった。ありがとう、と言えないその口で、ただ、「ああ。」と小さくつぶやくだけだった俺に、臨也は素直じゃないね、と呆れた。あれはなぜか印象的だった。
ただ、その意味をはかりかね、放置し、放り出すこともせず、共存しているだけで、何かをするために一緒にいるわけではない。日々感じている憎しみさえそこにはない。そんな生活だったことを、現実の出来事のように記憶していた。寝食をともにするだけ。それは幸せな日々といってもよかったのではないか、と思う自分。そして、また、その夢を、見始めた。
最近のことだ。今度の俺はおどろかずにじっと、臨也の顔をみた。
それがたしかに折原臨也だということを今度こそ、真剣に確かめるために。


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「なぁ、新羅、妄想ってのは、連続してやりすぎると現実とごっちゃになっちまうのか?」
新羅はきょとん、として、そのあと、静雄でも妄想ってするの、と首をかしげた。それからまるで言葉が流れ出るようにしゃべりだす。
「わからないけど、そういうこともあるんじゃないの。もしかしたら妄想だと思ってるだけで本当の出来事なのかもしれないし。」
「…。」
「それってどんな妄想なのかが問題だよね。バイクを持ち上げて飛ばしたくらいの妄想なら、それは妄想じゃないかもしれないから、君の場合。」
その上、いろいろと腹のたつようなこともまぜながらしゃべる新羅の言葉をさえぎるように俺はつぶやく。
「臨也と、俺が一緒に住んでるんだ。」
夜、きて、朝には帰るんだけど、たまに晩御飯を一緒にたべたりする。
新羅がとまる音をきいた。俺は、ああ、やっぱりな、と思った。新羅の顔はみないでもわかる。あと少ししたらきっと笑いの渦だ。

しかし、笑いは起こらなかった。新羅はとても冷静に口をひらいた。
「俺の知るかぎりでは、静雄、君は臨也と住んでいたことなんて一度もないよ。」
俺は新羅の顔を見た。何か考えているような顔だった。だが、その顔が、5時を知らせる時報でぱぁ、て明るくなった。そろそろセルティが帰ってくるから、君も帰りなよ。その言葉と、とてもいい笑顔で玄関までおくりだしてくれたのを、玄関のドアがしまった数秒たちつくしてにくらしげににらんだのだった。