その晩、今度は玄関から臨也がうちにやってきた。しかし、今度はきっと、妄想ではないことを臨也の一言でしる。
「ねぇ、新羅に面白いこと聞いたんだけど。」
俺たちいつ結婚したの。一緒に住んでるの。どこで。
 その言葉の節々に耳をふさぎたいような気持ちになって、気付いたらドアをしめていた。何しゃべってくれてんだ…!!と心がひびわれそうなくらいに叫ぶ。そのあいだにも、臨也がこんこん、と軽くドアを三度ノックして、いれてよ、といったのを聞く。そして次には蹴りをいれたかのようなごす、という音を、そのまま無言でいればすぐに帰っていくのだろう、と思ってドアから一歩、二歩と後退し、狭いリビングへ帰った。ここに住んでいた記憶は鮮明なのに、思い出せない。感触や、体温を。それは俺が触れなかったからというのもあるかもしれないが、あるいは幻に触れたからかもしれない。
 なるほど、都合のいい妄想が、いつのまにか記憶のひとつになっている。俺はリビングで、この妄想が消えるように願いながら眠りについた。ノックの音がしばらく続いたが、そのうちそれもつかれたように消えて、帰ったか、と安堵した。
 今度は目がさめないように祈りながら眠りにつく。

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 夢が続いている深夜。もう、どうにでもなれ、と思って隣の男に視線を移す。
自分はまだ覚醒しきっていないのだが、隣で眠る男はすでにおきて自分の髪やらを手でさらさらとなでている。静雄はそれをまじまじとみて、今何時だ、と聞いた。
「4時だよ、昨日シズちゃんずいぶん早かったから、起きちゃったんだね。」
臨也がへにゃ、と笑った。眠ればいいのに、とつぶやくと、臨也がもぞ、と胸にすりよってくる。俺はそれが密着しすぎないように少しそらす。臨也はそれをしょんぼりと眺めながら、シズちゃんが寝たら悪戯するのという。
「…。」
「ねぇ、何か俺にしてほしいことないの?」
 臨也は上目遣いで、俺に何かを訴えるように言った。俺は絶句する。臨也の望むことは自分の望んでいることなのだ。これは妄想だから…。
「ねぇ、シズちゃん、ぶ…」
デコピンであった。俺は何をやってるのだ、と思いながら、一言「寝ろよ。」と命令する。すると抗議するような視線が飛んでくるものの、それ以上は何か話したりすることはなかった。夜の闇の中で思う。近付きすぎている、と。警告だ。これ以上触れてはならないという。
 この距離に、幸せを思ってしまう。かなしいほど望んだ日はたしかに訪れていた。臨也が寝息をたてはじめたころに俺も眠気を感じはじめ、男二人が眠るには小さすぎるベッドの上で小さく眠っている。それははたからみても、自分からみてもおかしな風景だ。俺はその伸ばしかけた手を引っ込めたり、伸ばしたりしながら、伸ばしたらきっとその幻は消えるんだろうなぁ、と思った。消えてほしいと、夕方あんなに思ったのに、厄介な妄想だ。まったくどうしても、この関係をおわらせられない。どうしようもなく愛している。この距離が幸せだと思う。
 いつのまにか眠りについていた。次の日、日付をたしかめるともう9月で、臨也の姿はどこにもない。
 夏はおわったのだ。