電車のつり革につかまってずっと考えている。それはつかめば消えている不確かだ。なぜいるのかもわからないから、ふりかえればもしかしたらもうないかもしれない。少し右を振り返ってしまえば、その気配は消えうせるかもしれないと。
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ほんの数分前に、駅周辺をうろうろ歩く静雄を引きとめ、今日は家に余分に一人分夕食があって、ああ、秘書のぶんなんだけど、帰ってしまってね、という感じにつらつらと御託をならべた。彼は怪訝な顔をしてだからなんだと言う顔をしている。
「つまりさ、これからうちに来ない?て話なんだけど。」
ぷか、と煙が宙を泳ぎ、俺は半笑いで彼の顔を見つめる、彼も俺を見つめている。しばらく沈黙だった。
そして彼は持っていたタバコを口からはなすとうんと遠いところに目をそらし、そしてこちらを見た。それは肯定の返事だったから、俺はとても驚いた。驚きながら、彼の目を覗き込む。彼の瞳の色に驚愕する。それはどこまでも深い色をしていた。いつもの、明るい色を失っている。今日はよくない日だ。今日は、彼がよくないものにとりつかれている日だ。彼は、駅ならあっちだろう、とのそのそと歩き出す。俺が後から追いかける。あまりにもみなれない光景だったことはまちがいない。
『まぁ、そんな日のほうがおとなしくて俺にとっては都合いいんだけど』
それにしても無言だった。
俺はつり革に自分の体重をかけてゆれてみたりする。あまりに子供じみているのだが、気はまぎれる、どころかとても楽しいような気もしていた。うん、楽しい。一人でほくそえんでいる。ぶらん、ぶらん、と足がついているのに、体が揺れる。ぶらん、ぶらんと。しばらく駅が過ぎると、静雄が外をじっと見ているのが解った。夕暮れの、赤い空を、じっと見つめているのがわかった。
「ねぇ、シズちゃん何をみてるの。」
彼はその、重く、何も語らなかった口をひらいていった。
「電線が流れていくのが」
面白い。俺はふうん、と相槌を打って、同じ方向を向いた。流れていく電線に目をやって、ずっと追っているうちになぜかさびしいような気がして、片方のあいた手をぶらぶらとさまよわせた。さびしい。
俺はなんとなく動いていた手を彼の腕に、そして手にはわせた。その動作は目をあわせて行われない、目はじっと、どこか別のところをみつめていて、
すると驚くことにその手は握り返される。それを、俺は拒むように逃げようとするのに、静雄の手が、それを許さないほど、強く握る。さびしいのは、俺だけではなかったのか。俺はおもむろに前をむいた。もうそろそろ日が沈む。電線も見えないようになるのに、じっと前を見ていた。顔を合わせることなく、あわせることなく。