たぶん彼はただただ暇をもてあましていたのだろう。ぽたりぽたりと上のほうから降り注ぐものを肌に感じながら、波江はまた大きなため息をついた。
ここに朝きて、いったい何度めのため息だったのだろう。彼の言葉をただじっと待ちながら彼女は水滴にぬれた。コーヒーのわずか苦い香りがする。
「ああ、ごめん波江さん」
彼はからっぽになったティーカップをことんと机に置いてしまうと、替えの服を用意したいのだけれどついてきてくれるかな、としれっとした口調で尋ねた。波江はただ服などよりもタオルをくれと避難の目を向ける。こうなったら視線のぶつけあいなのだ。いつでも。その行為さえも目の前の男を調子に乗せることも知っていたが。
買い物にもしかしたら行くのは久しぶりかもしれなかった。臨也の奴はそんな私を自分の気に入った服を持たせては試着室に案内し、そのとんでもなく値のはりそうな服の袖に手を通し、どうかしら、と試着室の扉をあけるとともに一度に三着ほどの服をおしつけられた。まるで人形にあれこれ着せるような気分なのだろう。
臨也とのそういうよくわからないやり取りを何度かしたあげく、彼はふと首をかしげ、
そして即決するようにこれとこれとこれをください、といつもの人のよさそうな笑みを店員に向けた。あいもかわらず、とため息さえでる。
そのときには疲れきっていたのか何一つ口に出せずいた彼女に臨也はやっぱり普段着にする服じゃないね、と耳元でささやいた。
「あなた一体何がしたいのかわからないわ。」
「俺は俺がしたい買い物をしてるだけだよ?」
「弁償するっていってつれてきたのにね。」
それもそうだ、と臨也は笑った。外はすっかり暗くて、食事でも、と誘われそうな雰囲気だったので、私家に夕飯は作ってきているのとつぶやいた。すると、ふうん、とそっけない返事が返る。
「帰りどうしようか、送る?」
「結構よ。」
「そうだね。」
彼はそのまま歩き出そうとする波江をとめて、近くのタクシー乗り場に連れて、彼女の住所を運転手に告げる。
「じゃあ波江さん、また明日。」
「…ねぇ、あなたやっぱり今日は変じゃない?」
波江の言葉に臨也は少しの微笑みをもって返した。すると何も言えない。彼はそれ以上は言うな、と言っているような気がして。
タクシーのドアがしまる。エンジンの音がなって、そして外の音が聞こえなくなった一瞬、外をかいま見た。見てしまったような気がした。彼はじっとタクシーにのった波江をみて、そして少し目をそらしたかと思うと手をぎこちなくふった。
波江はその手をあげることもしないのだが、その手があがる瞬間に彼から完全に目をそらした。
何かがとてもおかしいはずなのに、その行動だけがまるで彼のわかりにくい愛情をちゃんと体現しているようにさえ感じられたのだ。