彼の姿を正確に記憶したのは初日、彼の部屋に初めてあいさつに行ったときだったけれど、彼が俺の姿を記憶したのはきっと騒音の日以降だろう。
そっと外を垣間見ると、丁寧に分別されたごみ袋を持ってふてぶてしくあるく彼がいて思わず噴き出しそうになる。 見ているだけならきっと気付かないだろうと思うのにその視線が、自分のものと絡むのをじっと待っている感情もある。本来見られたくないのならば退くところで目がそらせない。
彼がごみ袋をドスンとおき、汗をふく。その汗を拭いたあと、腰をあげて、帰り道を行くためにこちらを振り返る。目が、合う。
俺はその最後の一瞬を、まるで待っていたかのようにとらえて、軽く微笑んだ。彼は笑わない。


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うちのアパートは階段がひとつしかないので、静雄と出くわすこともままある。
そういうときに今度こそは叩き落されたりしないかと少し不安にならないわけでもなく、それでもたぶん彼は落としたりそんなことはしないだろうなぁ、という確信が自分の中にあった。
あるとき、本当に夜中、近くに仕事の相手がきていて出かけようとしたとき、仕事帰りの静雄がまた自分の部屋にクレームを言いに来たのか、階段を上ってきた。それをみて、ふっと「やぁ」と声を出してしまったことに後悔した。余闇にまぎれてしまえばよかった。
静雄は一瞬こちらを見たかと思うと、臨也?という感じで眉間にしわをよせて、そして

「こんな時間からどこ行くんだよ」

と訊いた。その言葉は今まで少しばかりのクレームをかかえていた人間の声ではないような気がして、そして「ちょっとそこまで」と俺は言った。返事にはなっていなかっただろうと思えたが、驚いたのはその次の静雄の言葉だった。

「夜遅いんだから気をつけろよ。」

俺はそこでかっちりかたまってしまった。隣をすり抜ける間、警戒心などまったくなくて、頬の体温をおさめようとして夜風に顔をめいっぱいさらしてまとまらない口笛をふいた。メロディーにはならなかったけれど、何かおさまりがつかなかったのだ。