先輩が俺のモデルを引き受けてくれた。俺はそれだけで結構うれしくて、本当にうれしくてパレットやら絵筆やらを用意しはじめる。鉛筆で輪郭をなぞりながら、ああでもない、こうでもない、ということを繰り返している。
「ねぇ、僕なんてかいて青葉くんは楽しいの。」
俺の絵筆をとる手が一瞬とまった。帝人先輩はさっきまで読んでいた本をとじてしまっていた。そしてそばに置くととゆっくりこちらへ歩み寄る。モデルなんだから動かないでくださいよ。俺はいいかけた唇をとじて、その動作を見守るしかなくなっている。
「だって、俺は帝人先輩をかきたかったから。」
俺がその言葉を発すると、一瞬帝人先輩が微笑んだように見えた。だが、注意はすぐに俺からそらされる。がら、と美術室の扉がひらいたからだ。そこには杏里先輩が立っている。俺が軽く会釈すると息をきらせている彼女がうやうやしく礼をしかえしてくれる。帝人先輩はいつもの帝人先輩に戻る。杏里先輩に対する、やさしい笑顔を浮かべて、どうしたの、といった。
「あの、お邪魔してすみません。学校委員の集まりがあるので早くきてほしくって、あの、」
「ああ、全然邪魔じゃないから、すぐいくよ園原さん。」
じゃぁね、青葉くん。帝人先輩は俺になんの含みもないやさしい笑顔をむける。それにぞく、としながら「はい、また明日。」とつぶやく。美術室には帝人先輩の絵と俺の二つだけが残されている。俺は絵筆でキャンパスを塗りつぶしたい衝動を必死でこらえて、想像で埋め合わせるように筆を動かし始めた。
***
文化祭が訪れて、俺の絵は何点か展示されることになった。俺は先輩たちの手伝いやら客引きやらで忙しくて、自分の絵を見たのは展示が終わる何分か前のことだった。そもそも自分の絵が展示されているのを見に行くというのも変な話だが、ぜひ見にいけばいいと思う、と先輩たちに言われ、画廊にたつ。
そこで俺は驚愕する光景をみる。
「え、帝人先輩?」
帝人先輩はしずかにたっていた。まるで何時間もそこにいるかのような姿勢でまっすぐにたっていた。
「あの、椅子おかししましょうか。」
俺がそうやって話しかけると、帝人先輩が黙って、とただつぶやいた。俺は静かに帝人先輩の横に並んだ。そこには帝人先輩を描いた大きなキャンパスがあった。俺はなぜだかそこから逃げ出したいような気持ちになったけれど、我ながらよくかけていると、見つめるような気持ちがあって、何分もの間そこに居続けた。帝人先輩はその間にどこかへいってしまっていたけれど。
***
つまり、そこにかかれた帝人先輩だけが僕の帝人先輩だった。